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[高林]新規性喪失事由としての公然実施‐大阪地判令5・1・31シュープレス用ベルト事件‐

1 はじめに

特許第3698984「シュープレス用ベルト」発明に関する特許訴訟と聞くと、関心のある方は知財高判平24・11・13(平成24(行ケ)10004号審決取消請求事件)裁判所web(以下「本件審決取消訴訟事件」という)の、進歩性についていわゆる独立要件説を採用し、構成の置換が仮に容易であったとしても、それによって予想できない顕著な効果があることを見出した場合には進歩性が認められるとした判決を想起するだろう。この判決は重要判例として特許判例百選〈第5版〉(2019年、有斐閣)にも登載されて評論されている。

今回紹介する大阪地判令5・1・31(平成29(ワ)4178号特許権侵害差止等請求事件)裁判所Web(以下「本件侵害訴訟事件」という)は、本件審決取消訴訟事件と同一の特許権を対象として特許権者Xと同一の当事者であるY(審決取消訴訟における無効審判請求人であり、侵害訴訟における被告)間で争われた訴訟であり、結論として本件特許は出願前公然実施であり無効審判において無効とされるべきものであるとして請求が棄却された。侵害訴訟で審理対象となった出願前公知技術等は審決取消訴訟のそれと共通するものも多いことから、両訴訟の判断経過を検討することは、進歩性や公然実施あるいは先使用等が絡んだ問題の検討に資するのではないかと考え、今回取り上げることにした(なお、本件侵害訴訟事件では今回取り上げる特許権のほか1件も審理対象となっているが、こちらに対する検討は一切省略する)。

2 本件侵害訴訟事件の概要

(1) 本件特許発明の構成要件は

A  補強基材と熱硬化性ポリウレタンとが一体化してなり、前記補強基材が前記ポリウレタン中に埋設され、

B  外周面および内周面が前記ポリウレタンで構成されたシュープレス用ベルトにおいて、

C  外周面を構成するポリウレタンは、末端にイソシアネート基を有するウレタンプレポリマーと、ジメチルチオトルエンジアミン(DMTDA)を含有する硬化剤と、を含む組成物から形成されている、

D シュープレス用ベルト。

であり、被告製品が構成要件A、B、Dを充足することは争いがなく、争点は構成要件Cの充足性と、特許法104条の3の権利行使阻止の抗弁の成否である。

(2) 本件を理解するうえで必要な限りで技術的な説明をすると、

本件各発明の対象であるベルトは製紙工程で用いられる。製紙工程の概要は、原料であるパルプを製造する工程と、パルプから紙を抄く抄紙工程に区別される。抄紙工程で用いられる抄紙機は、連続した複数のパート、すなわち、水で薄めたパルプを網の上で抄いて紙を形づくるワイヤーパート、濡れた状態の紙から水分を絞り出すプレスパート、熱を加えて紙を乾かすドライヤーパート、送られてくる紙を芯棒に巻き取るリールパート等からなる。ベルトは、抄紙機のプレスパートで用いられる。プレスロール1と対向する位置に筒状のシュープレス用ベルト2を設ける。プレスパートで用いられるプレス機には、加圧シューを用いてプレスを行うシュープレス方式があり、このシュープレス方式のプレスパートにおいて、ベルトは、抄かれた紙を脱水するために用いられる。プレスロール1と対向する位置に筒状のシュープレス用ベルト2を設ける。シュープレス用ベルト2は、内側に設けられた凹状の加圧シュー5の上を滑りながら回転しつつ、加圧シュー5とプレスロール1によって加圧される。ここで、プレスロール1は駆動ロールであり、シュープレス用ベルト2は走行するフェル ト3との摩擦によって連れ回りする。プレスロール1と、シュープレス用ベルト2の間を、湿紙4とフェルト3が際に、これらがプレスされることによって、湿紙の脱水が行われる。この際、湿紙から絞り出された水は、フェルト3に移行する。ベルトの中には、脱水効率を上げるため、ベルトのフェルト側に当接する面に溝(排水溝)が彫られることがある。シュープレス用ベルトの表面に排水溝が設けられている場合には、湿紙から絞り出された水はフェルトから溝内に移行し、溝に沿って排水される。

(3) 争点1:被告製品が構成要件Cを充足するか

被告は被告製品のベルト周面を構成するポリウレタンにDMTDAが含まれていること自体は争っていないが、これは微量であって硬化剤としては寄与していないので、構成要件Cを充足しないと主張している。

⇒本コラムはこの点を取り上げるものではないので、ごく簡単に説明すると、判決は、本件発明においては硬化剤としてDMTDAが主たる役割を果たしていることは要件としておらず、これを含み、それが硬化剤として機能していれば足りると認定した。結局被告製品にはDMTDAが含まれており、硬化剤として機能していないとはいえないので、被告製品は本件発明の構成要件をすべて充足すると判断した。

(4) 争点2: 権利行使阻止の抗弁(特許104条の3)の成否

被告は抗弁として、「先使用」「進歩性欠如」「実施可能要件違反」「サポート要件違反」と「公然実施による新規性欠如」等多数主張したが、裁判所はこのうちのひとつの公然実施による新規性欠如の抗弁についてのみ「事案に鑑み」として、判断を加えた。

⇒本コラムは、上記公然実施による新規性欠如の抗弁について検討するものであるから、以下、この点に絞って、当事者の主張と裁判所の判断を紹介する。

3 新規性喪失事由としての公然実施に関する被告の主張と原告の反論

(1) 被告主張の要旨

被告は、本件特許の出願(平成12年11月)前である平成11年5月から平成12年4月にかけて本件発明の構成要件を充足するベルトBを製造して、顧客である日本製紙八代工場に納品し、その間ベルトBは同工場で使用されており、その構成は日本製紙の知り得る状態となり、当業者はベルトBにDMTDAが包含されていることの同定が可能であった。

なお、被告は、昭和63年ベルト製造を開始し、平成8年4月新工場を新設してベルト製造を集約したが、その際に品質を一定の水準以上に保つためのQC工程表を平成11年2月26日に作成し、ベルトBは同工程表に従って製造されて、日本製紙八代工場に納品されたものである。

(2) 原告の反論の要旨

日本製紙に納入されたとされるベルトBが被告のQC工程表に準拠して製造されたかは不明であるし、当時分析機関にDMTDAのマススペクトルが登録されていなかったから、当業者がベルトBを分析機関に提出しても、DMTDAが含まれていることの同定はできなかった。

仮に、ベルトBの外周面を構成するポリウレタンに含まれる硬化剤に着目してその成分を分析しようとしたとしても、当時、硬化剤として考え得る候補物質は極めて多数存在していた上に、DMTDA(商品名エタキュアー300)はそれ以前に一般的に用いられていたMOCAと呼ばれる硬化剤の代替品となる数多くの硬化剤の中で、安全性の懸念から他の代替硬化剤に劣ると位置付けられていたものであり、これを用いることでクラックの発生を抑制できることは当業者においてすら知られていなかった。したがって、当業者が、硬化剤としてDMTDAに着目し、これをわざわざ入手してサンプルとして分析機関に送付し、分析を依頼したとは到底いえない。

4 新規性喪失事由としての公然実施に関する裁判所の判断

(1) ベルトBは被告のQC工程表に準拠して製造されたものであって、ポリウレタン  により基布が完全に被覆されており、内周面及び外周面のポリウレタンは、末端にイソシアネート基を有するウレタンプレポリマーとDMTDAを含有する硬化剤とを含んでおり、熱硬化性であることが認められる。そうすると、ベルトBにかかる発明Bは、基布を熱硬化性ポリウレタンが完全に被覆してなり、前記基布が前記ポリウレタン中に埋設され、フェルト側およびシュー側が前記ポリウレタンで構成されたシュープレス用ベルトにおいて、フェルト側を構成するポリウレタンは、末端にイソシアネート基を有するウレタンプレポリマーと、ビス(メチルチオ)-2,4-トルエンジアミンおよびビス(メチルチオ)-2,6-トルエンジアミンを含有する硬化剤と、を含む組成物から形成されている、シュープレス用ベルトという構成を有していることが認められ、本件発明の各構成要件を充足する。

(2) 本件特許1の出願前において、ウレタンプレポリマーと硬化剤とを混合してポリウレタンとし、これをベルトの弾性材料とすることは技術常識であったし、さらに、①昭和62年に発行された書籍において、実用化されている硬化剤として、4,4‘-メチレン-ビス-(2-クロロアニリン)(MOCA)のほかにエタキュアー300(DMTDAの商品名)が紹介されていたこと、②米国の会社が平成2年に発行したエタキュアー300のカタログにおいて、エタキュアー300は、新しいウレタン用硬化剤であり、トルエンジイソシアナート系プレポリマーに使用した場合、MOCAの代替品として、現在最も優れたものであると確信している旨が記載されていたこと、③米国の別の会社は、平成10年に日本向けのエタキュアー300のカタログを発行したこと、④平成11年に日本国内で発行された雑誌には、MOCAには発がん性があることが指摘されており、より安全性の高い材料が求められていたが、1980年代後半には、既にMOCAに代わる新しい硬化剤としてエタキュアー300が開発された旨の記事が掲載されていたこと、⑤被告は、平成3年頃からエタキュアー300の研究を開始し、遅くとも平成9年7月時点では、製紙用ポリウレタンベルトの硬化剤としてエタキュアー300を使用していたこと、⑥本件特許の出願前に、エタキュアー300と同様にウレタン用に使用された主要な硬化剤は、10種類前後であったことが認められる。

(3) 以上の事実関係に照らすと、本件特許の出願前に、エタキュアー300は、ウレタン用の硬化剤として注目され、実用化されていたものと認められ、分析機関のライブラリにDMTDAのマススペクトルが登録されていなかったとしても、エタキュアー300をサンプルとして分析機関に送付して分析を依頼した蓋然性があったといえ、当業者はベルトBにDMTDAが含まれていることを知り得たものと認められる。したがって、ベルトBは日本製紙に納品され、自由に解析等され得る状態におかれたのであるがら、本件発明は、本件特許の出願前に公然実施された発明であって、本件特許は特許無効審判により無効とされるべきものである。

5 参考としての本件審決取消事件判決の判断要旨

(1) 本件発明の特許出願時においては、シュープレス用ベルトの弾性材料として、ウレタンポリマーと4,4‘-メチレン-ビス-(2-クロロアニリン)(MOCA)からなる硬化剤を混合して硬化させた熱硬化性ポリウレタンを用いて、充分な強さと、安定した走行状態を長時間維持できるものが使用されていた(引用発明1)が、ベルト外周面を構成するポリウレタンにクラックが発生するという問題があり、本件発明は、硬化剤としてDMTDAを用いることによりクラック防止するという効果を奏するものである。

(2) 一方で、本件発明の特許出願前において、熱硬化性樹脂であるポリウレタンの硬化剤として、①代表的な硬化剤であるMOCAは発がん性が指摘されており、より安全性の高い材料が求められてきたこと、➁ MOCAに代わる新しい硬化剤としてDMTDA(商品名エタキュアー300)が開発されたこと、③エタキュアー300は、急性毒性の心配がなく、発がん性も、突然変異性もない安全な硬化剤であることが文献(甲2号証)に記載されていた。

(3) 一見すると、審決のように、甲2号証に接した当業者が安全性の点からMOCAに代えてエタキュアー300を用いることは容易想到であるようにも見える。しかし、①引用発明1は、ベルトの寿命が低減するという欠点を改善するために、強度を高め、寸法精度の高い安定して走行状態を長時間維持できる等の効果を奏する良好なシュープレス用ベルトを提供するというものであり、甲2号証は発がん性等がない安全な硬化剤を提供するというものであるが、これをシュープレス用ベルトに用いることについては何ら記載はなく、一方で本件発明は、シュープレスベルトの外周面を構成するポリウレタンにクラック発生を防止できるという効果を奏するものであって、クラック防止の効果おいてエタキュアー300は、MOCAに比べてその差は顕著である。本件発明の特許出願時において、安全性の点からMOCAに代わる硬化剤はエタキュアー300のほかに数多く開発されており、安全性の点からはエタキュアー300以外の物質が選択される可能性が高かった。

6 多少の考察

(1) 被告は本件特許の出願前におけるベルトBにかかる発明の完成や日本製紙への納品による先使用権も抗弁として主張していた。

⇒ただし、被告はその後ベルトBを改良した幾種類ものベルトを製造しており、いずれも訴訟対象となっていたので、原告は、ベルトBから実施例変更された被告製品には先使用権は成立しないと主張していた。

⇒公然実施として権利全体を無効とする抗弁と、法定実施権があるとして(権利を無効とするのではなく)原告からの請求の棄却を求める抗弁は、選択的抗弁であって、いずれを判断するかは裁判所の裁量であろう。また、本件においては仮に裁判所が先使用権の抗弁を認めるのであれば、ベルトBから実施例変更された別の被告製品にも先使用権の効力が及ぶか否かといった問題も検討しなければならなかった。

(2)ベルトBは本件発明と同様の「発明」として完成して納品されていたのか?

⇒被告は、技術的範囲の解釈においては被告製品に含まれるDMTDAは微量であって、硬化剤として寄与していないと主張していたが、裁判所は被告製品にはDMTDAが含まれており、主たる硬化剤としてでなくとも硬化剤として機能していれば足りると判断した。すなわち、構成要件を充足するならば、硬化剤としてクラック防止の効果を生ずることを前提としている。

⇒一方で被告は抗弁として、 QC工程表を提出して、ベルトBの製造過程においてDMTDAが当然に含まれるし、被告はこれが含まれるベルトを製造しようと意図していたと主張し、裁判所にも認定されている。そして、当時他社においても硬化剤としてDMTDAが注目されていたことによれば、ベルトBを製造した被告もこれを納入した日本製紙も、分析機関にDMTDAに着目した分析を依頼した蓋然性が高いと認定して、公然実施であると判断した。

⇒当業者一般を対象として容易想到性を判断した本件審決取消訴訟事件と、公然実施発明を開発した当事者本人による実施に着目した本件侵害訴訟事件との相違があるからこその認定であるといえよう。

(3)審決取消訴訟事件で同じ被告は、シュープレス用ベルトの弾性材料としてMOCAを硬化剤として用いた出願前公知技術と、エタキュアー300(DMTDA)が発がん性のあるMOCAに代替する硬化剤として注目されているという出願前公知文献を用いて、本件発明の進歩性欠如を主張したが、裁判所は構成の置換が可能なようでも、これによりクラック防止という予想できない効果が生じるとして、請求を棄却した

⇒この主張は、本件侵害訴訟事件では被告自らがエタキュアー300を用いたベルトを研究し、製造したと主張しているのと、整合しない主張のようにも思える。このような主張の変遷は訴訟戦略を踏まえてのものだったのだろうか?

(4) 審決取消訴訟事件では、MOCAからエタキュアー300への置換は、構成として容易のようであったとしても、これを試みた結果、予想できない顕著な効果があることを見出だした点で進歩性を認めた(独立要件説)

⇒本件侵害訴訟事件では、被告自らがエタキュアー300を用いたベルトを研究し、製造したと主張しているのであって、クラック防止に着眼してエタキュアー300を用いたのでなくとも、結果して構成要件を充足する発明を本件発明出願前に完成していると認定された。

⇒結局公然性という、もうひとつの山はあるが、本件では少なくとも先使用は認められ、原告の請求は(実施例変更後の被告製品に対してはともかくとして)棄却されるべきものであった。翻って考えると、本件侵害訴訟事件で登場した主張や立証が本件審決取消訴訟でも登場していたならば、独立要件説に立つ判決は出されなかったように思える。

7 検討を終えての感想

私は、進歩性判断において顕著な効果は構成の容易想到性判断の際の二次的考慮要素であると考えているため、本件審決取消訴訟の判示には違和感を抱いてきたが、本件侵害訴訟事件を検討してみて、構成の容易相当性が認められるのに効果が顕著であるとして結果的に進歩性が認めれる事例というのは、極めて特殊なものなのであることが確認できたように思う。また、裁判官から学者を経て45年ぶりに今年2023年4月から新たに弁護士として実務に復帰して、本件のように同一当事者間で同じ特許を巡って長年に渡って訴訟で争い、特許の保護期間も満了してしまった後に、権利が無効であるとの侵害訴訟での判断に至った経緯を後追いしてみて、特許訴訟の特殊性や粘着性を改めて実感したところである。

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