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【設樂】21世紀の展望…AI発明その他

太陽の寿命は100億年であり、現在は46億年経過している。したがって、太陽は、54億年後には、赤色巨星となって、地球を飲み込み、その後白色矮星となるといわれている。あるいは、地球は、太陽に飲み込まれずに、白色矮星となった太陽の周りを公転しているとの説もある。もっとも、太陽は、1億年に1パーセントずつ明るくなっているため、5億年後には、地球上の海水が蒸発し、生き物が住めなくなっているらしい。

私の知人に、5億年後に地球には住めなくなるとか、54億年後に地球は消滅という話をすると、人類はそんなに長く地球上に生存しないから大丈夫という冷めた反応が多い。確かに、ここ2000年の人類の戦争の歴史を見ると、人類は、5億年後も地球上に存在しているかといわれても、全くその自信がない。それどころか1000万年後といわれても、10万年後といわれても、あるいは1000年後も地球上に平和に存在するかといわれても、最近の科学技術の目覚ましい進歩、多数の核兵器の存在、人類の歴史、そして地球温暖化、さらに最近の国際情勢などを考えると、私は楽天的な方であるが、その自信はなく、実際は百年後でも平和な時代が続くかどうか心配である。特に、最近の米中の二極の対立や台湾有事が切迫しているとの報道、あるいはロシアのウクライナ侵攻の報道を見ると、21世紀は人類にとって危うい世紀となるかもしれないと心配せざるを得ない。

そのような時代であっても、最近の技術革新、例えば、量子コンピュータやXR(Extended

Reality。VRやARなどの仮想空間技術の総称)などは目覚ましいものがあり、これからの半世紀における技術革新は、過去の数千年の人類の技術の進歩をはるかに超えるものとなるといわれている。

その中でも、これからの人間の生活に多大な影響を与えるものは、AIの進歩であろう。

AI(Artificial Intelligence、人工知能)とは、「コンピュータや機械を利用して、人間の問題解決能力と意思決定能力を模倣するもの」である。

AIについては、囲碁やチェスの世界チャンピオンがAIに敗北して以来、AIはいつ人類を超えるか、AIは究極的に人類に幸福を与えるか、などがAIの学者によって議論されている。また、今年の6月26日付けの日経新聞では、AIが人間の感覚や感情を宿したかどうかがグーグルとその元研究者間で論争になっていることが伝えられている。

2017年3月のTED TALKでは、AIのパイオニアであるStuart Russellが「より安全なAIを創造するための3つの原則」と題して「超知的なAIの力を享受しながら、機械に支配される破滅的な未来を避けるために、AIに常識や利他性その他の重要な人間の価値観を学習させ、これに基づいて問題解決をさせることが重要である」と話している。そして、同TALKの冒頭で、悲しい目をしたゴリラの親子の写真が紹介されているのが印象的である。すなわち、ゴリラの悲しい目は、自分たちより優れた知性の種が存在するためであり、人類はAIの開発はやめるべきかもしれないとの議論の紹介である。

しかし、AIは、現在では既にビジネスや自動運転その他の様々な分野で活躍している。また、医療の分野においても、既にAI診断は始まっており、ベテランの医師の補助者として、あるいは専門医が少ない医療過疎地域におけるオンラインの病気の診断において、AIの診断が頻繁に活用される時代はすぐに到来するであろう。そして、AIの診断は、当初は補助的なツールとしての活用であったとしても、そのうちベテランの医師よりもより適切な診断結果になるとの実証結果が生じてくると、近未来において病気の主たる診断が医師からAIに移る時代が来るかもしれない。そして、これは、法律の世界でも、起こりうることである。一般の民事事件に限らず、例えば知財における侵害や無効の判断などの分野でも起きていくことかもしれない。また、各国の特許庁の審査も、特許法と公知技術をすべて学習しているAIが担当し、瞬時に特許性の答えを出すようになるかもしれない。これは、実に大変なことである。

単純労働は、AIに支配、管理されたロボットが担当するが、知的な作業も、AIにより向いていると認識される時代が到来するとなると、人間の仕事は何が残るのであろうか?やはり人間よりも優れた種が誕生することになり、人類はAIに支配される時代が到来するのであろうか?

これは21世紀において、AIが進化するとともに、いずれ生じる問題である。その際に、「AIに常識や利他性その他の重要な人間の価値観を学習させる」ことは必須であり、そうでなければAIと人類の共存は困難かもしれない。

もっとも、欧米の民主主義国家と中露などの専制主義国家の対立が激しくなると、AIに学習させる重要な人間の価値観、例えば、人命の尊重、表現の自由、言論出版の自由、信教の自由、教育を受ける権利、社会公共の利益などの重要な価値観とその優劣の順番を学習させる場合に、欧米社会の価値観と専制主義国の価値観とでは、優劣の順番が異なってくることは想像に難くない。そうなると、異なる価値観を学習したAIは、特に政治や外交の様々な問題に関して、異なる結論を下す可能性がある。政治や外交の問題に関しては、AIの導入は、一番最後になるのかもしれない。

さて、話はやや深刻になったが、本日のテーマはAI発明である。

AIのDABUS君が発明者になり、特許を得ることができるか、との問題提起となる訴訟がオーストラリア、米国、イギリス、EPOなどで提起され、既に地裁、高裁等の判決が公表されている。

興味深いのは、オーストラリア連邦地裁の判決である。

事案は、DABUSと名付けられたAIを発明者、特許出願人をStephan Thaler(自然人)とする出願に対し、オーストラリア特許庁は、特許法と同規則に基づき、発明者を自然人又は法人とすることを求めたが、出願人は、AIは発明者となれるとの意見書を提出したため、出願が却下され、それに対する取消訴訟が連邦地裁に係属した。

連邦地裁は、2021年7月30日、AIは特許法の発明者になれると判断して、特許庁の却下処分を取り消したため、特許庁は高裁に控訴した。争点は、オーストラリア特許法15条及び規則3 2C(2)(aa)の解釈であった。

この訴訟の前提事実は、「AIは機械内に実装され、人間の特定の思考プロセスと行動をシミュレートするようにプログラムされている。人工ニューラルネットワークは、人間の脳が情報を処理し生成する方法をシミュレートするために、機械内に実装され、自己組織化される。人工知能システムは、人工ニューラルネットワークを組み込んでもよいし、人工ニューラルネットワークで構成してもよい。DABUSは人工ニューラルネットワークを組み込んだ人工知能システムである。」、「DABUSの出力は出願の主題であると主張される発明である。DABUSは自然人でも法人でもない。Thaler博士は、DABUSソースコードの著作権者であり、DABUSが動作するコンピュータの所有者であり、DABUSおよびそれが動作するコンピュータのメンテナンスおよびランニングコストに責任を負う。」である。

オーストラリア特許法15条は、特許は、発明者またはその者から特許を受ける権利を譲り受けた者に付与されると規定している。

オーストラリア連邦地裁の判断は、「First, an inventor is an agent noun; an agent can be a person or thing that invents. Second, so to hold reflects the reality in terms of many otherwise patentable inventions where it cannot sensibly be said that a human is the inventor. Third, nothing in the Act dictates the contrary conclusion.」というものである。地裁は、人間又はその他の法人のみが所有者、管理人又は特許権者となり得るが、発明者は人間のみであり得ることは誤りであるし、特許法のいかなる規定もその結果を正当化するものではないと判断した。そして、地裁判事は、DABUSとその基礎となるニューラルパラダイムは、機械学習におけるパラダイムシフトを表していること、AIが医薬品の研究で既に使われてきていることを説明し、「発明者」という概念に関して狭い見解をとることは、AIの成果から利益を得る可能性のある他のすべての科学分野におけるイノベーションを阻害することになると結論付けた。また、著作権法とは異なり、特許法は人間の著者を必要としない、仮にAIのみがアウトプットを創出したと言えるが、人間の発明者のみが許可されているのであれば、発明者は全く存在しない可能性が生じる、などの詳細な理由を述べて、特許庁の処分を取り消した。

しかし、オーストラリアの控訴裁判所は、2022年4月13日、特許法における発明者は、自然人であり、AIは、特許法における発明者にはなれないとして、地裁判決を破棄した。その理由は、特許法15条(1)(a)は、「発明の特許は発明者である者にのみ付与することができる」と規定していることや、規則3 2C(2)(aa)は、出願人に「発明の発明者の名称を提供する」ことを要求していることなどである。

高裁は、AI発明は立法問題であるとしても、今後の立法をする際の問題として、「特許はAIの出力(発明)に関して誰に付与されるべきか? 人工知能ソフトウェアが実行されるマシンの所有者、人工知能ソフトウェアの開発者、ソースコードの著作権の所有者、人工知能が出力を開発するために使用するデータを入力する人のいずれとすべきか。進歩性の基準は、当該分野における仮想的な非創造的熟練者の知識及び思考過程を参照して判断されなくなるように再調整されるべきか。」などの点も指摘しており、この点は興味深い。

DABUS訴訟は、イギリスや米国においても提起された。イギリスの控訴裁判所は、2021年9月21日に判決を言い渡し、イギリス特許庁がAIを発明者と認めなかった処分を適法とした第一審裁判所の判断を是認した。その理由は、特許法上の発明者は自然人である、ということである。また、米国の連邦地裁も同様の判断を示している。さらにEPOのLegal Board of Appealも、2021年12月21日に、DABUSを発明者とするEP出願を拒否した処分を適法と判断している。

AIを発明者とする出願が認められないのは、現段階では、予想されたとおりである。しかし、DABUS事件は、一つの問題提起であり、5年後、10年後には、発明者は自然人と記載されながら、事実上はAIの出力が発明となり、それが出願されるケースはさらに増加していくであろう。その際に、立法論が問題となるとすると、オーストラリアの控訴裁判所が、立法の際の問題点を上記のとおり指摘しているのが興味深いところであった。