【設樂】知財高裁美容器事件大合議判決 のある争点について
1 はじめに
今さら繰り返す必要はないかもしれないが、あらためて知財高裁美容器事件大合議判決の要旨を述べると、次のとおりである。
①実施品限定説の不採用
特許法102条1項所定の「侵害行為がなければ販売することができた物」とは,侵害行為によってその販売数量に影響を受ける特許権者の製品,すなわち,侵害品と市場において競合関係に立つ特許権者の製品であれば足りる。
②単位数量当たりの利益の額=限界利益
特許法102条1項所定の「単位数量当たりの利益の額」は,特許権者の製品の売上高から,特許権者において上記製品を製造販売することによりその製造販売に直接関連して追加的に必要となった経費を控除した限界利益の額であり,その主張立証責任は 特許権者側にある。
③製品の一部の特許・・・限界利益を覆滅
特許発明の特徴のある部分が特許権者の実施品の一部分であり,同製品のうち大きな顧客誘引力を有する部分がほかにあるとの事情の下では,特許権者の製品の販売によって得られる限界利益の全額が特許権者の逸失利益となるとの事実上の推定が一部覆滅される。
④実施能力・・・潜在的能力で足りる
⑤推定覆滅事由(譲渡数量の覆滅)
特許法102条1項ただし書所定の「特許権者が販売することができないとする事情」は,侵害行為と特許権者の製品の販売減少との相当因果関係を阻害する事情をいい,例えば,①特許権者と侵害者の業務態様や価格等に相違が存在すること(市場の非同一性),②市場における競合品の存在,③侵害者の営業努力(ブランド力,宣伝広告),④侵害品及び特許権者の製品の性能(機能,デザイン等特許発明以外の特徴)に相違が存在することなどの事情がこれに該当し,・・・主張立証責任は,侵害者側にある。判示事項①ないし⑤のうち、③を除いては、これまでの裁判例を統一し、整理したものであり、学説上も異論は少ないと思われる。しかし判示事項③については、学説上の有力な批判がある。 筆者は、令和4年1月22日の早稲田大学(RCLIP)特許権行使戦略セミナーにスピーカーとして参加し、そのメンバー[1]との意見交換を通じ、この問題についての理解を深めることができたため、本稿では、上記③の判示事項について、学説の批判等を紹介した上で、主張立証責任、大合議判決の射程距離、条文との整合性などについて、私見を述べてみたい(以下、各スピーカーのレジュメを引用する場合は、「レジュメ金子」等という。)。
2 判示事項③についての学説の批判
判示事項③は、特許権者の製品における特許発明の貢献度を理由として、推定覆滅する場合、❶本文説(利益額減額説)、❷販売阻害事情説(但し書き説)、❸寄与度説があったところ、本文説を採用したものといわれている。しかし、本件特許は、美容器の部品特許ではなく、美容器の製品特許であるため、本件事案について判示事項③のような❶本文説を採用したことについては、❷販売阻害事情説を採用する学説から、批判されている(レジュメ金子16頁によれば、田村善之・知的財産法政策学研究59号110頁以下、鈴木將文・L&T90号20頁以下ほか2名が挙げられている)。なお、令和元年改正後の102条1項の規定では、但し書きがなくなり、販売できない事情に相応する数量を「特定数量」と定義したため、改正後は、従来の但し書き説を「販売阻害事情説」あるいは「特定数量説」と呼ぶべきであるが[2]、ここでは販売阻害事情説と呼ぶことにする。
学説の批判としては、例えば、鈴木L&T20頁は、判示事項③について反対する理由として、①特許発明の製品需要との貢献度については、販売阻害事情との区別が困難である、②特許権者が発明の非実施品である競合品を販売している場合に、同様の手法をとれない(本文説を適用できない)という難点がある、③令和元年改正による実施料損害との併用も、本文説では困難となることを挙げ、さらに、④特許発明が侵害品の販売に結び付いていないという問題を、販売阻害事情として考慮することは自然である、⑤102条1項は、「数量」の調整によって逸失利益に近づけるという一種の割り切りをしている規定と解される等の理由も挙げている。
まず、特許発明の貢献度については、従来から部品特許の場合などが論じられてきた。もっとも、本件特許は、請求項の記載によれば、美容器の部品の特許発明ではなく、美容器の特許発明である。美容器の発明について、発明の特徴部分が、実施品の顧客吸引力のある部分の一部であることを理由に、本文説により単位数量当たりの利益の額の推定が事実上覆滅されるとした点に、上記大合議判決の特徴がある。しかし、この点については、学説が批判するように問題があるように思われる。
3 本文説と販売阻害事情説の比較検討
上記大合議判決は、判示事項③について、「本件発明2は,回転体,支持軸,軸受け部材,ハンドル等の部材から構成される美容器の発明であるが,軸受け部材と回転体の内周面の形状に特徴のある発明(「本件特徴部分」)であるところ,原告製品は,支持軸に回転可能に支持された一対のローリング部を肌に押し付けて回転させることにより,肌を摘み上げ,肌に対して美容的作用を付与しようとする美容器であるから,本件特徴部分は,原告製品の一部分であるにすぎない。」と認定した上で、「本件特徴部分が原告製品の販売による利益の全てに貢献しているとはいえないから,原告製品の販売によって得られる限界利益の全額を原告の逸失利益と認めるのは相当でなく,したがって,原告製品においては,上記の事実上の推定が一部覆滅される」と判断した。この判示だけを見ると、多数の特許発明が実施されている実施品、例えば、スマホやラップトップその他の電子製品などは、一つの実施品に、数千、数万の特許が実施されているといわれているが、そのような場合は、推定覆滅により、利益の額が相当程度減額されるのか、との疑問が生じるであろう。また、医薬品の場合は、メインの特許に周辺特許をいれても、その数には限りがあるとはいえ、特に周辺特許については、顧客吸引力という点で、同様の懸念が生じるであろう(なお、FRAND宣言をした通信規格に関する標準必須特許については、標準必須特許全体の実施料相当額をベースに、侵害された標準必須特許の個数に限定して損害額を減額する知財高裁大合議の判決があるが、これは標準必須特許固有の損害額の認定であり、本件とは関係しない。)。
もっとも、上記の有力学説も、あるいは他の裁判例も、102条1項については、❷販売阻害事情説により、「侵害行為と特許権者の製品の販売減少との相当因果関係を阻害する事情,例えば,・・・④侵害品及び特許権者の製品の性能(機能,デザイン等特許発明以外の特徴)に相違が存在することなど」の場合に推定覆滅がされることを認めているから、侵害された特許の顧客吸引力がその一部に過ぎないという上記の事情は、侵害行為がなくても販売しえなかった事情として考慮されることになる。そうすると、本文説と販売阻害事情説との実質的な差異は何かが、次の論点となる。
(1)立証責任
販売阻害事情説の立場では、侵害行為がなくても販売することができなかったとの推定覆滅事由の立証責任は、侵害者である。また、本文説の立場でも、「推定が一部覆滅され」と記載されているように、推定覆滅事由の立証責任は、同様に侵害者である[3]。そうすると、102条1項の「侵害行為と相当因果関係のある販売減少数量の立証責任の転換を図ることにより」との立法趣旨(上記大合議判決参照)から見ると、少なくとも主張立証責任の点からは両説の実質的な差異はあまりないように見える。すなわち、立証責任が侵害者にあることからすれば、推定覆滅事由による減額については、一定のブレーキがかかるはずである。本文説であれ、販売阻害事情説であれ、推定覆滅事由の主張立証責任が侵害者側にあることからすると、判示事項③の影響は少なく、最近の裁判例が損害額の認定を拡大している流れは維持されるであろう。
(2)判示事項①と判示事項③の整合性
本判決によれば、特許権者が特許発明の実施品を製造販売している場合に限らず、侵害品と市場において競合する製品を製造販売していれば、102条1項の適用がある(判示事項①)。しかるに、判示事項①及び③によれば、特許権者の製品が特許発明の実施品でない競合品の場合は、同製品における特許発明の顧客吸引力はゼロであるため、このような場合に、本文説を採用することはできない、というのが学説の批判としてある。この点は、そのとおりである。したがって、理論的には、販売阻害事情説の方が、すべての場合における統一的解釈が可能であり、よりすっきりとしている。
(3)令和元年改正との関係
令和元年改正による実施料の損害の追加が認められる場合については前回の視点の論考に記載したとおりであり、もともと実施料損害の追加が認められる場合は、条文の文言からイメージされるよりは、かなり狭いものになると解される。
(4)102条1項の条文との整合性
判示事項③の本文説について、学説の上記批判に加えてもう一つ指摘したいことは、102条1項の条文の規定との整合性である(なお、令和元年改正後の条文との整合性として、以下、論じる[4]。)。
102条1項1号は、「侵害行為がなければ販売することができた物の単位数量当たりの利益の額」に「侵害者の譲渡数量」を乗じて得た額と規定し、1項本文は、1号の利益の額と2号の実施料相当額の「合計額」を「損害の額とすることができる」と規定している。そして、この「単位数量当たりの利益の額」は、限界利益として算定されるというのが本判決の判示事項②である。また、「侵害行為がなければ販売することができた物」は、判示事項①により、「侵害行為によってその販売数量に影響を受ける特許権者の製品」と解される。本判決は、その上で「本件特徴部分が原告製品の販売による利益の全てに貢献しているとはいえないから,原告製品の販売によって得られる限界利益の全額を原告の逸失利益と認めるのは相当でなく」、利益の額が推定覆滅されると判示しているけれども、102条1項1号は、「侵害行為がなければ販売することができた物の単位数量当たりの利益の額」に「侵害者の譲渡数量」を乗じた額と規定しているだけであり、この条文は、この要件に関して何らの推定覆滅事由も規定しておらず、単に実施相応数量の範囲内の譲渡数量について、特定数量を推定覆滅事由として規定しているだけと読むのが通常の解釈のように思われる(前掲鈴木論文の④、⑤の理由がこれに近い。)。
このように、102条1項の条文は、「侵害行為がなければ販売することができた物」の「単位数量当たりの利益」に、被告の譲渡数量すべてを乗じた額を損害額と推定した上で、被告の実施相応数量の範囲内の譲渡数量のすべてを販売し得ない事情により、推定覆滅しているのであるから、限界利益の額を推定覆滅するという判示事項③は、条文の規定の解釈から少し離れているように思われる。この条文の構造からすれば、販売阻害事情説の学説が言う通り、102条1項の損害額における推定覆滅事由としては、「実施相応数量」の範囲内の譲渡数量から「特定数量」を除いた数量が規定されているだけであると解する方が自然である。
(5)まとめ
美容器事件大合議判決は、その判示事項①、②、④、⑤において、102条1項損害についてこれまでの裁判例を整理し、まとめた点で意義があり、高く評価されるものの、その判示事項③については、その射程距離を広く認めるのは相当ではないように思える。すなわち、本判決の判示事項③は特許発明の非実施品である競合関係にある製品の事例には及ばないと解されること、本文説も販売阻害事情説もどちらも推定覆滅事由の主張立証責任は侵害者にあるため、実質的な差異はないと思われること、また、条文の構造からすると、販売阻害事情説が自然な解釈であることからすると、判示事項③の射程距離を広く解するのは相当ではないように思われる。
4 推定覆滅事由における差額説の考え方
不法行為による損害は、不法行為と相当因果関係にある損害である。実務上、この損害額については、差額説による考え方が採用されている。すなわち、侵害行為がなかりせば特許権者が得たであろう利益がその損害である。
特許法の102条1項は、上記のとおり、特許権者の損害立証の困難さにかんがみ、その負担を軽減するために、立証責任の転換を図った規定である。適正な損害額の認定としては、特許権者の市場競合製品の単位数量当たりの利益の額に、実施相応数量の範囲内の侵害品の譲渡数量から特定数量を除いた侵害数量を乗じて計算されるところ、特定数量という推定覆滅事由を、立証責任が侵害者にあることを認識しながら、差額説な観点からバランス良く推定覆滅事由を認定することが重要であろう。 また、その際には、特許権侵害訴訟を提起する場合には、特許権者は、裁判所には見えないところでも様々な不利益を被ったうえで、侵害訴訟を遂行している事情もあることも忘れられるべきではないと思われる。特許権者は、当該特許に対し、無効審判を提起されることは当然として、訴訟に伴う諸々の経済的不利益を覚悟しながら、侵害訴訟を提起し、継続している。このような事情もあることを想像しながら、立証責任の転換を図った102条の規定により適正な損害額の認定がされていくことを期待したい。
[1]他のスピーカーは、髙部眞規子前高松高等裁判所長官、金子敏哉明治大学法学部教授、モデレータは、鈴木將文名古屋大学教授であった。
[2]令和元年改正前は、但し書きで譲渡数量の推定覆滅がされていたので、但し書き説と呼ばれている。令和元年改正後は、販売阻害事情説あるいは特定数量説という方が、条文により適合している。
[3]この点は、セミナーのスピーカーであり、本件判決の裁判長である髙部元判事も同意見であった。
[4]この論点に関しては、条文自体は改正前後で実質的に変わらないように思える。