先使用による通常実施権に関する裁判例(「医薬(ピタバスタチン)」事件)
※本稿は、以前リニューアル前の弊所のウェブページに掲載していたものを、加筆修正したものである。
1 はじめに
弊所では、先使用(又は公然実施)に関するご相談をよくいただいている。もちろん、訴訟内で先使用の抗弁を主張することもあるが、ご相談の多くは、新たに出願され登録された他社特許について、以前より製造等していた自社製品が抵触する可能性があるため、先使用による通常実施権が認められるか、どのような証拠を集めればよいか、などといったご相談である。また、将来の特許出願に備え、先使用又は公然実施を主張するために今のうちにどのように証拠化すべきかというご相談もいただいている。
そこで、今回は、先使用に関連して、特許侵害訴訟において先使用による通常実施権を有するとした被告の主張(先使用の抗弁)が認められなかった裁判例(知財高裁平成30年4月4日判決(平成29年(ネ)第10090号)「医薬(ピタバスタチン)」事件)を紹介する。
2 本件発明(抜粋)
本件発明2 「次の成分…を含有し、かつ、水分含量が1.5~2.9質量%である固形製剤が、気密包装体に収容してなる医薬品。」
3 判決(筆者注:■は、第三者による閲覧等が制限されている部分である。)
「2 争点1(控訴人は先使用権を有するか)について
(1)…特許法79条にいう『発明の実施である事業…の準備をしている者』とは,少なくとも,特許出願に係る発明の内容を知らないで自らこれと同じ内容の発明をした者又はこの者から知得した者でなければならない(最判昭和61年…10月3日…民集40巻6号1068頁参照)。よって,控訴人が先使用権を有するといえるためには,サンプル薬に具現された技術的思想が本件発明2と同じ内容の発明でなければならない。
(2) サンプル薬の水分含量
…(筆者注:控訴人は,サンプル薬の水分含量を測定しているところ、)サンプル薬を製造から4年以上後に測定した時点の水分含量が本件発明2の範囲内であるからといって、サンプル薬の製造時の水分含量も同様に本件発明2の範囲内であったということはできない。また、実生産品の水分含量が本件発明2の範囲内であるからといって、サンプル薬の水分含量も同様に本件発明2の範囲内であったということはできない。かえって、サンプル薬の顆粒の水分含量を基に算出すれば、サンプル薬の水分含量は本件発明2の範囲内にはなかった可能性を否定できない。その他、サンプル薬の水分含量が本件発明2の範囲内にあったことを認めるに足りる証拠はない。
そうすると、控訴人が、本件出願日までに製造し、治験を実施していた…サンプル薬の水分含量は、いずれも本件発明2の範囲内(1.5~2.9質量%の範囲内)にあったということはできない。
(3) サンプル薬に具現された技術的思想
ア 仮に、本件…サンプル薬の水分含量が1.5~2.9質量%の範囲内にあったとしても、以下のとおり、サンプル薬に具現された技術的思想が本件発明2と同じ内容の発明であるということはできない。
イ 本件発明2の技術的思想
前記…のとおり、本件発明2は、ピタバスタチン又はその塩の固形製剤の水分含量に着目し、これを2.9質量%以下にすることによってラクトン体の生成を抑制し、これを1.5質量%以上にすることによって5-ケト体の生成を抑制し、さらに、固形製剤を気密包装体に収容することにより、水分の侵入を防ぐという技術的思想を有するものである。
ウ サンプル薬に具現された技術的思想
(ア) 控訴人が、本件出願日前に、サンプル薬の最終的な水分含量を測定したとの事実は認められない。
(イ)また,サンプル薬の製造工程では,A顆粒及びB顆粒の水分含量を乾燥減量法による測定において■にする旨定められているものの…,A顆粒及びB顆粒以外の添加剤の水分含量は不明である。また,サンプル薬には吸湿性の高い崩壊剤や添加剤が含まれているにもかかわらず,打錠時の周囲の湿度,気密包装がされるまでの管理湿度などは不明である。
そうすると,サンプル薬に含有される…水分含量について,■にする旨定められているからといって,控訴人が,サンプル薬の水分含量が一定の範囲内になるよう管理していたということはできない。
(ウ)さらに,…実生産品の製造工程では,B顆粒の水分含量を乾燥減量法による測定において■にすると定められており…,サンプル薬と実生産品との間で,B顆粒の水分含量の管理範囲が■から■へと変更されている。控訴人は,サンプル薬の水分含量には着目していなかったというほかない。
(エ)したがって、控訴人は、本件出願日前に本件…サンプル薬を製造するに当たり、サンプル薬の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内又はこれに包含される範囲内となるように管理していたとも、1.5~2.9質量%の範囲内における一定の数値となるように管理していたとも認めることはできない。
エ 以上のとおり、本件発明2は、ピタバスタチン又はその塩の固形製剤の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内にするという技術的思想を有するものであるのに対し、サンプル薬においては、錠剤の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内又はこれに包含される範囲内に収めるという技術的思想はなく、また、錠剤の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内における一定の数値とする技術的思想も存在しない。
そうすると、サンプル薬に具現された技術的思想が、本件発明2と同じ内容の発明であるということはできない。」
4 まとめ
(1)本判決について
本判決では、「特許法79条にいう『発明の実施である事業…の準備をしている者』とは,少なくとも,特許出願に係る発明の内容を知らないで自らこれと同じ内容の発明をした者又はこの者から知得した者でなければならない」とする、ウォーキングビーム式加熱炉事件を参照したうえで、本件において「控訴人が先使用権を有するといえるためには,サンプル薬に具現された技術的思想が本件発明2と同じ内容の発明でなければならない。」との規範を示した。
そして、「控訴人が、本件出願日までに製造し、治験を実施していた…サンプル薬の水分含量は、いずれも本件発明2の範囲内(1.5~2.9質量%の範囲内)にあったということはできない。」と判断したうえで、「仮に、本件…サンプル薬の水分含量が1.5~2.9質量%の範囲内にあったとしても、」具体的には、水分含量に着目し、測定し、管理していたという事情が無いと認定して、サンプル薬の水分含量が一定の範囲内になるように管理されていたということはできないとして、「サンプル薬に具現された技術的思想が、本件発明2と同じ内容の発明であるということはできない。」と判示した。
本判決では、サンプル薬に具現された技術的思想が、本件発明2と同じ内容の発明であると認められるには、サンプル薬において、錠剤の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内又はこれに包含される範囲内に収めるという技術的思想、または錠剤の水分含量を1.5~2.9質量%の範囲内における一定の数値とする技術的思想が存在している必要がある。そのためには、偶然(意図せず)その数値範囲に含まれる製品を製造していたのみでは足りず、水分含量に着目するなどして測定し、その数値範囲若しくはこれに包含される範囲内に収めるように又はその数値範囲内の一定の数値となるように管理されて製造していたことが必要となると判示したとも読める。
(2)私見
私見としては、本判決に従ったとしても、必ずしも、水分含量等の数値に着目し、測定していたことが必要となるとは限らないと解する。
いわゆる先使用品において、ある特定の数値に着目されずに製造がなされていたとしても、当該先使用品が、必ず当該発明に係る数値範囲若しくはこれに含有される範囲内に収めるように又はその数値範囲内の一定の数値となるように(結果的に)管理されていたことを立証できるものであれば、「当該先使用品に具現された技術的思想が、当該発明と同じ内容の発明である」と言えるのではないかと考える。
つまり、本裁判例における水分含量等の数値に着目し測定するという旨の判示事項は、当該発明に係る数値範囲若しくはこれに含有される範囲内に収めるように又はその数値範囲内の一定の数値となるように管理されていたことを導き出すための事情に過ぎないものと考える。
実務上、将来出願される他社特許出願について、いかなる数値限定等がなされるか予測できないところ、ある特定の数値に着目し測定していたことまで先使用権者に求めるのは、あまりに酷であると考える。そのため、先使用権者において、ある数値に着目して測定していたという事情が存在しなかったとしても、ある物質を製造した場合に結果的に必ずある特定の数値範囲内になるということが立証できれば、ある数値範囲になるように管理されていたといえると考えるべきである。
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