結合商標の類否判断~リラ宝塚事件最判基準とつつみのおひなっこや事件最判基準の関係性~
第1 はじめに
結合商標の類否判断に関する主な最高裁判決として、最判昭和38年12月5日民集17巻12号1261頁【リラ宝塚事件】、最判平成5年9月10日民集47巻7号5009頁【SEIKO EYE事件】及び最判平成20年9月8日集民228号561頁【つつみのおひなっこや事件】が存在する[1]。
リラ宝塚事件判決とつつみのおひなっこや事件判決は、一見、前者において比較的分離観察を緩やかに認める一方で、後者において分離観察を極めて限定的な場合にしか認めていないようにも読めるところ、両者の整合性について実務的に統一的な見解があるとはいいがたい実情がある 。
他方で、近時の知財高裁等における裁判例には、両基準の関係について一定の示唆を与えるものが複数見受けられる。
本コラムにおいては、上記両判決の整合性についてどのような考え方があり得るかを整理し、近時の裁判例の位置づけを試みる。
第2 最高裁判例について
リラ宝塚事件及びつつみのおひなっこや事件の判示内容を以下に引用する。
(1)リラ宝塚事件[2]
『商標はその構成部分全体によつて他人の商標と識別すべく考案されているものであるから、みだりに、商標構成部分の一部を抽出し、この部分だけを他人の商標と比較して商標そのものの類否を判定するがごときことが許されないのは、正に、所論のとおりである。しかし、簡易、迅速をたつとぶ取引の実際においては、各構成部分がそれを分離して観察することが取引上不自然であると思われるほど不可分的に結合しているものと認められない商標は、常に必らずしもその構成部分全体の名称によつて称呼、観念されず、しばしば、その一部だけによつて簡略に称呼、観念され、一個の商標から二個以上の称呼、観念の生ずることがあるのは、経験則の教えるところである(昭和三六年六月二三日第二小法廷判決、民集一五巻六号一六八九頁参照)。しかしてこの場合、一つの称呼、観念が他人の商標の称呼、観念と同一または類似であるとはいえないとしても、他の称呼、観念が他人の商標のそれと類似するときは、両商標はなお類似するものと解するのが相当である。』
以下、本稿において下線部分を「不可分結合基準」と呼ぶこととする。
(2)つつみのおひなっこや事件[3]
『(1)法4条1項11号に係る商標の類否は、同一又は類似の商品又は役務に使用された商標が、その外観、観念、称呼等によって取引者、需要者に与える印象、記憶、連想等を総合して、その商品又は役務に係る取引の実情を踏まえつつ全体的に考察すべきものであり(最高裁昭和39年(行ツ)第110号同43年2月27日第三小法廷判決・民集22巻2号399頁参照)、複数の構成部分を組み合わせた結合商標と解されるものについて、商標の構成部分の一部を抽出し、この部分だけを他人の商標と比較して商標そのものの類否を判断することは、その部分が取引者、需要者に対し商品又は役務の出所識別標識として強く支配的な印象を与えるものと認められる場合や、それ以外の部分から出所識別標識としての称呼、観念が生じないと認められる場合などを除き、許されないというべきである(最高裁昭和37年(オ)第953号同38年12月5日第一小法廷判決・民集17巻12号1621頁、最高裁平成3年(行ツ)第103号同5年9月10日第二小法廷判決・民集47巻7号5009頁参照)。』
以下、本稿において下線部分を「識別力基準」と呼ぶこととする。
第3 商標審査基準
商標審査基準第3の十「第4条第1項第11号(先願に係る他人の登録商標)」には以下の記載がある。
「4.結合商標の称呼、観念の認定及び類否判断について
(1) 結合商標の称呼、観念の認定について
(ア) 結合商標は、商標の各構成部分の結合の強弱の程度を考慮し、各構成部分がそれを分離して観察することが取引上不自然であると思われるほど強く結合しているものと認められない場合には、その一部だけから称呼、観念が生じ得る。」
第4 近時の裁判例の一般的傾向
裁判例においては、上記両判決の判断基準(とみられるもの)の双方を組み合わせたものを規範として定立しているものが散見される。例えば、知財高判平成31年3月12日・平成30年(行ケ)第10121号【キリンコーン事件、知財高裁第2部(森裁判長)】は以下のとおり判示する。
『複数の構成部分を組み合わせた結合商標と解されるものについては、商標の各構成部分がそれを分離して観察することが取引上不自然であると思われるほど不可分的に結合しているものと認められないときには、その構成部分の一部を抽出し、当該部分だけを他人の商標と比較して商標の類否を判断することが許される場合があり、商標の構成部分の一部が取引者、需要者に対し商品又は役務の出所識別標識として強く支配的な印象を与えるものと認められる場合や、それ以外の部分から出所識別標識としての称呼、観念が生じないと認められる場合などには、商標の構成部分の一部だけを他人の商標と比較して商標の類否を判断することも許される(最高裁昭和37年(オ)第953号同38年12月5日第一小法廷判決・民集17巻12号1621頁、最高裁平成3年(行ツ)第103号同5年9月10日第二小法廷判決・民集47巻7号5009頁、最高裁平成19年(行ヒ)第223号同20年9月8日第二小法廷判決・裁判集民事228号561頁参照[4])。』
ただし、識別力基準、不可分結合基準の関係性を考慮してのものか、細部に微妙な表現の違いが見られる。
他方、識別力基準、不可分結合基準のいずれか一方のみを規範とするものや、特に規範を明示しないものも見られる。
さらに、あてはめの中におけるこれらの基準の使い分けについても、必ずしも定立した規範がそのまま使われているわけではないなど、統一されているとは言い難い。
第5 不可分結合基準と識別力基準の関係
1 不可分結合基準と識別力基準の関係についての分類
不可分結合基準と識別力基準がいずれも結合商標の類否判断における分離観察の可否に関する判断基準であるという前提を置いた場合[5] 、両基準の関係について論理的にあり得る見解は以下のとおりである。
まず、①両者は別個の観点による判断基準であるという考え方がありうる。このうち、①-A 両者は適用される事案の範囲を異にするという考え方と、①-B 適用される事案の範囲は同じであるという考え方があり得、さらに、後者は①-B-1 両者は重畳的要件であるという考え方と、①-B-2 両者は選択的要件であるという考え方があり得る。
次に、②両者は同じ観点による判断基準にすぎないという考え方があり得る。
以下各考え方について詳論する。
2 ①-A(適用範囲の峻別)について
(1)次のような考え方があり得る。すなわち、リラ宝塚事件は需要者においてその名称になじみが薄い図形と、なじみ深く、かつ外観上独立して注意を惹くように構成されている文字の結合商標が問題となった事例であり、他方、つつみのおひなっこや事件は文字商標の一部分を分離観察できるか否かが問題となった事案であって、両者は事案が異なる。したがって、不可分結合基準と識別力基準はそれぞれその射程範囲とする事案を異にするのであり、事案に応じていずれかの基準を適用すればよい。
なお、知財高判平成29年1月24日・平成28年(行ケ)第10164号【ゲンコツメンチ事件、知財高裁第2部(清水裁判長)】は以下のように判示する。
『原告が挙げる前記最高裁昭和38年12月5日第一小法廷判決は、図形と文字「宝塚」に「リラタカラヅカ」、「LYRATAKARAZUKA」の文字が添記され、「宝塚」は当該商標のほぼ中央部に普通の活字で極めて読み取りやすく表示され、独立して見る者の注意を引くように構成されている旨の事実認定を前提に、…判断したものであって、本件商標のように、全ての文字が、標準文字で、一連に横書きされており、各文字は、同じ字体、大きさ及び間隔で、一体的に表記されている場合に、その一部のみを分離して観察することを認めたものではない。』
(2)しかしながら、つつみのおひなっこや事件最判は、識別力基準を判示するにあたって、リラ宝塚事件最判(及びSEIKO EYE事件最判)を「参照」という形で引用しており、識別力基準はリラ宝塚事件、SEIKO EYE事件及びつつみのおひなっこや事件に通底する「判例理論」であると理解するのが自然である。
3 ①-B-1(重畳的要件)について
(1)この考え方は、ⅰまず結合商標について分離観察することが取引上不自然と思われるほど不可分に結合しているかを判定し、ⅱ-1 不可分に結合している場合、分離観察は否定され、ⅱ-2 不可分に結合していないと認められる場合は、さらに識別力基準に掲げられた2つの場合にあてはまるかを判定し、ⅱ-2-1 当てはまる場合は分離観察を肯定し、ⅱ-2-2 当てはまらない場合は分離観察を否定する、というものである。つまり、不可分結合基準と識別力基準の双方をクリアすることを要件とするものであり、分離観察の可否について最も厳格なプロセスにより判断する立場といえる。
(2)知財高判平成27年11月5日・平成27(ネ)第10037号【湯~とぴあ事件】の判示は、この見解に親和的である。同知財高判は、原告商標の上段部分と下段部分が不可分に結合していないとしながら、いずれも強く支配的印象を与えるものではないとして分離観察を否定している。
また、第6で紹介する知財高判令和4年7月14日・令和3年(行ケ)第10108号【チロリアンホルン事件、知財高裁第1部(大鷹裁判長)】等もこの立場と親和的である。
4 ①-B-2(選択的要件)について
(1)この考え方は、ⅰまず結合商標について分離観察することが取引上不自然と思われるほど不可分に結合しているかを判定するところは前項と同じであるが、ⅱ-1 不可分に結合していない場合、分離観察は肯定され、ⅱ-2 不可分に結合していると認められる場合であっても、さらに識別力基準に掲げられた2つの場合にあてはまるかを判定し、ⅱ-2-1 当てはまる場合は分離観察を肯定し、ⅱ-2-2 当てはまる場合に限り分離観察を否定する、というものである。つまり、識別力基準を、不可分結合要件をクリアしない場合の例外要件ととらえるものであり、分離観察をより広く認める立場といえる。
また、この考え方によると、結局のところ、両基準のいずれか一方を満たせばよいのであるから、いずれか一方の基準を満たす場合には、他方の基準の検討は省略することもできると考えられる。
(2) 産業構造審議会知的財産分科会商標制度小委員会商標審査基準ワーキンググループ第22回資料1-1[6]においては、知財高判平成28年1月20日・平成27年(行ケ)第10158号【REEBOK ROYAL FLAG事件】がこの立場に立っているとの理解の下[7]、「(つつみ事件は)リラ宝塚事件からさらに要部抽出できる可能性を広げたものと解釈することとなり、両判決を矛盾なく、かつ、従来の審査運用と乖離することなく解釈することができる。」とする。
同WGの議事録においても、不可分に結合している場合であっても分離観察ができる場合があるということにつきほぼ異論が出されていない。
(3)この点、知財高判令和3年2月22日・令和2年(行ケ)第10088号【ホームズくん事件、知財高裁第3部(鶴岡裁判長)】は、以下のとおり判示し、識別力基準を満たさない場合であっても、不可分に結合していない場合は分離観察が可能であることを明言する。
『原告の主張中には、分離観察が許されるのは②(※執筆者注・識別力基準)に該当する場合に限られるという趣旨に受け取れる部分があるが、上記のとおり、①(※執筆者注・不可分結合基準)に該当しないといえる場合にも分離観察は可能であるというべきであるから、上記主張は失当である。』
また、東京地判令和4年3月18日・令和1年(ワ)第34096号【ぼてぢゅう事件、東京地裁民事40部(中島裁判長)】は、以下の判示のように不可分結合基準と識別力基準を並列的な要件としている(あてはめ部分も参照)。
『複数の構成部分を組み合わせた結合商標と解されるものについて、商標の構成部分の一部を抽出し、この部分だけを他人の商標と比較して商標そのものの類否を判断することは、①その部分が取引者、需要者に対し商品又は役務の出所識別標識として強く支配的な印象を与えるものと認められる場合、②それ以外の部分から出所識別標識としての称呼、観念が生じないと認められる場合、③商標の各構成部分がそれを分離して観察することが取引上不自然であると思われるほど不可分的に結合しているものと認められない場合などを除き、許されないというべきである…。』
5 ①の立場における各基準の考慮要素
①の立場を採用する場合、不可分結合基準と識別力基準のそれぞれの判断において、考慮される事情は何かが問題となる。識別力基準において、各構成部分の出所識別力の強さを基礎づける事情が考慮されることは比較的わかりやすいが、不可分結合基準は、「不可分に結合している」という基準自体の抽象性から、どのような事情に基づいて判断されるのかがわかりにくい。
この点、①の立場を採用していると思われる裁判例は、不可分結合基準においては、各構成部分の一体性、特に外観上の一体性を重視する傾向にあるように思われる。
しかし、リラ宝塚事件は不可分に結合しているか否かの判断にあたり、文字部分と図形部分の一体性の程度というより、各構成部分の需要者にとってのなじみ深さや文字部分が独立して看る者の注意をひくように構成されているかを考慮しているところ、不可分結合基準は各構成部分の一体性により判断し、識別力基準は各構成部分の出所識別機能により判断するという手法については、リラ宝塚事件の趣旨を正解しないものではないかとの疑問があるところである。
6 ②(言い換え、例示)について
(1)不可分結合基準と識別力基準は同一の観点による判断基準を別の表現で言い換えたものにすぎないという考え方である。例えば、不可分結合基準は分離観察の可否に関する抽象的判断基準であり、識別力基準はこれをさらに敷衍する具体的判断基準と解することが考えられる。すなわち、特定構成部分が強く支配的印象を与える場合や、それ以外の部分に出所識別標識としての称呼、観念が生じない場合は、分離して観察することが取引上不自然なほど不可分に結合しているとはいえない一例と考えるものである。
(2)知財高判令和元年9月12日・平成31年(行ケ)第10020号【SIGNATURE事件、知財高裁第2部(森裁判長)】は、規範として不可分結合基準のみを定立(リラ宝塚事件のみを引用し、つつみのおひなっこや事件を引用していない)した上で、以下のように判示しており、識別力基準は不可分結合基準の例示であるととらえているように思われる。
『原告は、結合商標の一部を分離、抽出して商標の類否を判断することは、「その部分が取引者、需要者に対し商品又は役務の出所識別標識として強く支配的な印象を与えるものと認められる場合」や「それ以外の部分から出所識別標識としての称呼、観念が生じないと認められる場合」などの例外的な場合に限られるべきであると主張する。
しかし、原告が挙げる上記の場合以外にも、各構成部分がそれらを分離して観察することが取引上不自然であると思われるほど不可分的に結合しているものと認められない場合には、分離観察が許されると解するのが相当であり、…』
また、知財高判令和3年7月29日・令和3年(行ケ)第10026号【SΛNKO事件、知財高裁第2部(森裁判長)】も、規範として不可分結合基準のみを定立(リラ宝塚事件のみを引用し、つつみのおひなっこや事件を引用していない)した上で、以下のように判示している。
『(2) この点について、原告は、結合商標の一部を分離、抽出して商標の類否を判断することは、「商標の構成部分の一部が取引者、需要者に対し商品又は役務の出所識別標識として強く支配的な印象を与えるものと認められる場合」や、「それ以外の部分から出所識別標識としての称呼、観念が生じないと認められる場合」などの場合に限られるべきであると主張する。しかし、原告が挙げる上記の場合以外にも、「各構成部分がそれを分離して観察することが取引上不自然であると思われるほど不可分的に結合しているものと認められない場合」には、分離して観察することが許されると解するのが相当である。原告が引用する最高裁平成19年(行ヒ)第223号同20年9月8日第二小法廷判決・裁判集民事228号561頁も、このことを否定するものとは解されない。
(3) そして、以上の(2)で述べた事情などを総合的に考慮して、結合商標の一部を分離、抽出して商標の類否を判断することが許されるかどうかを判断することが相当であると解される。』
当該裁判例は、つつみのおひなっこや最判が示す事情を総合的に考慮して判断すると述べていることが特徴的である。
また、知財高判令和3年9月21日・令和3年(行ケ)第10029号【ヒルドマイルド事件、知財高裁第2部(本多裁判長)】[8]は、
『商標の構成部分の一部が取引者、需要者に対し商品又は役務の出所識別標識として強く支配的な印象を与えるものと認められる場合や、それ以外の部分から出所識別標識としての称呼、観念が生じないと認められる場合等、商標の各構成部分がそれを分離して観察することが取引上不自然であると思われるほど不可分的に結合しているものと認められない場合には、その構成部分の一部を抽出し、当該部分だけを他人の商標と比較して商標の類否を判断することも許される』
と判示しており、識別力基準が不可分結合基準の例示であると読める文面となっている。
第6 識別力基準自体の理解
1 つつみ事件においては、「その部分が取引者、需要者に対し商品又は役務の出所識別標識として強く支配的な印象を与えるものと認められる場合や、それ以外の部分から出所識別標識としての称呼、観念が生じないと認められる場合などを除き、許されない」と判示されている。
2 この点、『〔つつみのおひなっこや事件〕の判断基準を前提とした場合であっても、結合商標の構成態様の違いや事案の具体的妥当性を考慮し、「それ以外の部分から出所識別標識としての称呼、観念が生じないと認められる場合など」にいう「など」にが当する場合として、上記①(執筆者注:結合商標の特定の構成部分が取引者、需要者に対し商品又は役務の出所識別標識として強く支配的な印象を与えると認められる場合)及び②(執筆者注:それ以外の部分から出所識別標識としての称呼、観念が生じないと認められる場合)以外の場合においても分離観察をすることができる場合がある』との見解がある(大鷹一郎「Q32 商標の類否‐結合商標」清水節・髙野輝久・東海林保編『Q&A 商標・意匠・不正競争防止の知識100問』160頁)。
3 知財高裁令和4年7月14日・令和3年(行ケ)第10108号【チロリアルホルン事件、知財高裁第1部(大鷹裁判長)】は、以下のように判示する[9]。
『複数の構成部分を組み合わせた結合商標については、その構成部分全体によって他人の商標と識別されるから、その構成部分の一部を抽出し、この部分だけを他人の商標と比較して商標そのものの類否を判断することは原則として許されないが、取引の実際においては、商標の各構成部分がそれを分離して観察することが取引上不自然であると思われるほど不可分的に結合しているものと認められない商標は、必ずしも常に構成部分全体によって称呼、観念されるとは限らず、その構成部分の一部だけによって称呼、観念されることがあることに鑑みると、商標の構成部分の一部が取引者、需要者に対し商品又は役務の出所識別標識として強く支配的な印象を与えるものと認められる場合や、それ以外の部分から出所識別標識としての称呼、観念が生じないと認められる場合のほか、商標の構成部分の一部が取引者、需要者に対し、相当程度強い印象を与えるものであり、独立して商品又は役務の出所識別標識として機能し得るものと認められる場合には、商標の構成部分の一部を要部として取り出し、これと他人の商標とを比較して商標そのものの類否を判断することも、許されると解するのが相当である。』
そして、あてはめ部分において、「チロリアンホルン」の文字をゴシック体で横書きに書してなる本件商標について、「チロリアン」の文字部分と「ホルン」の文字部分を分離して観察することが取引上不自然であると思われるほど不可分的に結合しているものとは認められないとした上で、「チロリアン」の文字部分は、菓子のブランド名を示すものとして注意を惹き、取引者、需要者に対し、相当程度強い印象を与えるものと認められるため、独立して商品の出所識別標識として機能し得るものと認められるとして、分離観察を肯定している。
本判決は、第5で述べた分類でいえば、①-B-1に立つものと考えられるが、識別力基準について、つつみのおひなっこや事件が挙げる場合のほかに、「商標の構成部分の一部が取引者、需要者に対し、相当程度強い印象を与えるものであり、独立して商品又は役務の出所識別標識として機能し得るものと認められる場合」にも分離観察が許されるとしている点に特徴がある。
第7 おわりに
結合商標の類否判断に関し、リラ宝塚事件最判の基準とつつみのおひなっこや事件最判の基準の関係については、いまだ統一的な見解があるとは言い難い状況にある。
もっとも、いずれの見解に立つ場合でも、訴訟実務的には、結合商標の各構成部分の一体性の程度や、出所識別機能の強弱に関する事情を総合的に主張することに変わりはないものと考えられる。
以 上
[1] なお、結合商標についても、氷山事件最判(最判昭和43年2月27日・民集22巻2号399頁)が示す商標の類否判断についての一般論があてはまるものであり、裁判例においても同最判を引用するものが多い。
[2] なお、同判決に対しては、前掲氷山事件以前の判例であり先例的意義に乏しいとの指摘がある(島並良「結合商標に関する類否判断―つつみのおひなっこや事件」『続・知的財産法最高裁判例評釈体系 小野昌延先生追悼論文集』140頁参照)。
[3] なお、同判決に対しては、事例的色彩が強いとの指摘がある(飯村敏明「商標の類否に関する判例と拘束力―最三昭和43年2月27日判決を中心にして」L&T52号58頁以下)。
[4] 引用判例としてリラ宝塚事件、SEIKO EYE事件及びつつみのおひなっこや事件を挙げる裁判例が多い。
[5] リラ宝塚事件の調査官解説(田中眞次『判解』最高裁判所判例解説民事編昭和36年度252頁以下)においては、不可分結合基準は分離観察の可否に関する「抽象的判断基準」を示したものとされている。
[6] https://www.jpo.go.jp/resources/shingikai/sangyo-kouzou/shousai/shohyo_wg/document/22-shiryou/02.pdf
[7] もっとも、REEBOK ROYAL FLAG事件のあてはめ部分を読む限りこの立場に立っているといえるかには疑問がある。
[8] 同日言渡しの令和3年(行ケ)第10029号【HIRUDOMILD】も同旨
[9] 同日に言い渡された令和3年(行ケ)第10110号【ザプレミアムチロリアン】、令和3年(行ケ)第10109号【ザリッチチロリアン】も同旨