パラメータ発明の記載要件
1.はじめに
偏光フィルム大合議判決(知財高判平成17年11月11日(平成17年(行ケ)10042号))では、「特性値を表す二つの技術的な変数(パラメータ)を用いた一定の数式により示される範囲をもって特定した物を構成要件とする」発明を、いわゆる「パラメータ発明」と呼び、サポート要件の判断が示されました。
本稿では、複数の物性値の関係を数式で表した発明及び複数の物性値を数値範囲で表した発明を「パラメータ発明」と呼び、その記載要件(明確性要件、サポート要件、実施可能要件)について検討します。パラメータ発明を適切に権利化しようとする場合にも、パラメータ特許を無効化しようとする場合にも、パラメータ発明の記載要件が特許庁や裁判所においてどのように判断されるかを理解しておく必要があります。
2.明確性要件(特許法36条6項2号)
特許庁の審査基準(第II部第2章第3節2.)には、明確性要件の基本的な考え方として「請求項に係る発明が明確に把握されるためには、請求項に係る発明の範囲が明確であること、すなわち、ある具体的な物や方法が請求項に係る発明の範囲に入るか否かを当業者が理解できるように記載されていることが必要である。また、その前提として、発明特定事項の記載が明確である必要がある。」と記載され、明確性要件違反の類型として「明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識を考慮しても、請求項に記載された用語の意味内容を当業者が理解できない結果、発明が不明確となる場合」が挙げられています。
また、裁判例には「特許を受けようとする発明が明確であるか否かは,特許請求の範囲の記載だけではなく,願書に添付した明細書の記載及び図面を考慮し,また,当業者の出願当時における技術的常識を基礎として,特許請求の範囲の記載が,第三者に不測の不利益を及ぼすほどに不明確であるか否かという観点から判断されるべき」という判断基準を示すものが複数存在します(知財高判平成22年8月31日(平成21年(行ケ)10434号)〔伸縮性トップシートを有する吸収性物品事件〕等)。
パラメータ発明の場合には、明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識を考慮して、物性値や数式の定義、測定方法や測定条件を当業者が理解できるように記載されていることが必要です。そうでない場合には、第三者の製品がその技術的範囲に含まれるか否かを当業者が理解することはできず、第三者に不測の不利益が及ぶことになるため、明確性要件違反になると考えられます。
また、クレームされた物性値の測定方法が複数あり、測定方法によって物性値に有意の差が生じるにも関わらず、明細書にその測定方法が特定されていない場合について、「特許権者において特定の測定方法によるべきことを明細書中に明らかにしなかった以上,従来より知られたいずれの方法によって測定しても,特許請求の範囲の記載の数値を充足する場合でない限り,特許権侵害にはならない。」(東京地判平成15年6月17日(平成14年(ワ)4251号)〔マルチトール含蜜結晶事件〕等)とする裁判例がありますので、権利行使の点からも注意が必要です。
3.サポート要件(特許法36条6項1号)
特許庁の審査基準(第II部第2章第2節2.)には、サポート要件の基本的な考え方として、請求項に係る発明と発明の詳細な説明に発明として記載されたものとの「実質的な対応関係」について検討することが記載され、「実質的な対応関係についての検討は、請求項に係る発明が、発明の詳細な説明において『発明の課題が解決できることを当業者が認識できるように記載された範囲』を超えるものであるか否かを調べることによりなされる」と記載されています。
偏光フィルム大合議判決は、「特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきもの」と判示しました。この判断基準は、特許庁の審査基準における基本的考え方と同様の考え方を示したものと解されます。そして、同判決は、いわゆる「パラメータ発明」がサポート要件に適合するためには,「発明の詳細な説明は,その数式が示す範囲と得られる効果(性能)との関係の技術的な意味が,特許出願時において,具体例の開示がなくとも当業者に理解できる程度に記載するか,又は,特許出願時の技術常識を参酌して,当該数式が示す範囲内であれば,所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に,具体例を開示して記載することを要する」との判断を示しました。
特に、複数の物性値の関係を数式で表した発明の場合には、発明の詳細な説明に、数式を満たす実施例と満たさない比較例を複数示し、発明が解決しようとする課題を実際に解決できたか否かに関する実験結果を記載しておくことが重要です。数式の広さや考慮可能な出願時の技術常識によって、必要な実施例、比較例の数やバリエーションは異なると考えられます。なお、「所定の数値範囲を発明特定事項に含む発明について,特許請求の範囲の記載が同号所定の要件(サポート要件)に適合するか否かは,当業者が,発明の詳細な説明の記載及び出願時の技術常識から,当該発明に含まれる数値範囲の全体にわたり当該発明の課題を解決することができると認識できるか否かを検討して判断すべきものと解するのが相当である。」とする判決(知財高判令和元年11月14日(平成30年(行ケ)第10110号、10112、10155号))がありますので、注意が必要です。
4.実施可能要件(特許法36条4項1号)
特許庁の審査基準(第II部第1章第1節3.)では、物の発明が実施可能要件を満たすためには、発明の詳細な説明は、当業者がその物を作れるように記載されなければならず、当業者がその物を使用できるように記載されなければならない(ただし、具体的な記載がなくても、明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識に基づき、その物を作れ、使用できる場合を除く。)、とされています。
裁判例でも「物の発明における発明の実施とは,その物の生産,使用等をする行為をいうから(特許法2条3項1号),物の発明について上記の実施可能要件を充足するためには,当業者が,明細書の発明の詳細な説明の記載及び出願当時の技術常識とに基づいて,過度の試行錯誤を要することなく,その物を製造し,使用することができる程度の記載があることを要する。」という判断基準を示すものが複数存在します(知財高判平成27年11月26日(平成26年(行ケ)第10254号)〔青果物用包装袋及び青果物包装体事件〕等)。
「物」に係るパラメータ発明の場合、新規な物質発明や医薬用途発明とは異なり、出願時の技術常識を考慮してもどのように使用できるかが理解できない物は想定しにくいことから、実施可能要件の検討は、出願時の技術常識を考慮してその物を製造することができる程度に発明の詳細な説明が記載されているかという点が中心となると考えられます。
サポート要件は特許請求の範囲の記載要件で、実施可能要件は発明の詳細な説明の記載要件であり、上記のとおり両要件の判断基準も異なるため、実施可能要件とサポート要件は常に同じ結論になるとは限りません。異議申立てや無効審判において、サポート要件違反、実施可能要件違反を主張する場合には、それぞれの要件の判断基準に沿った主張をする必要があります。
5.出願後の実験について
特許庁の審査基準(第II部第1章第1節4.2、第2章第2節3.2.1)には、サポート要件違反、実施可能要件違反の拒絶理由通知に対する意見書の主張を実験成績証明書により裏付けることができることが記載され、審査ハンドブック附属書A.1.には、実験成績証明書により意見書の主張を裏付けることにより、サポート要件違反及び実施可能要件違反の拒絶理由が解消される事例が記載されています(事例6、7、37。なお、パラメータ発明の例ではありません。)。
また、偏光フィルム大合議判決も、出願後に行った実験結果を一切参酌しないとするものではないと解されます。
しかし、実際には、出願後に行った実験結果が参酌されて、サポート要件違反や実施可能要件違反が解消することは難しい場合が多いと考えられるため、当初明細書における実施例及び比較例の記載をできるだけ充実させておくことが望まれます。
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