知的財産事件と仮処分(1)
1.はじめに
特許権等の自社の知的財産権が侵害されていることを発見した場合には、警告書の送付やライセンス条件の提示等といった交渉により対応するという手段の他に、侵害行為の差止めや損害賠償を求める訴訟(民事保全手続と対比して「本案訴訟」とも呼ばれる。)を提起する、又は差止めの仮処分を申立てるといった裁判手続を利用する方法も考えられる。今回は、一般事件における民事保全や仮処分について概説した上で、知的財産事件における仮処分の特色を解説し、次回は差止仮処分の要件及びメリットデメリットについて解説する。
2.一般事件における民事保全
ある権利の実現を裁判によって実現するためには、原則として、民事訴訟を提起し、勝訴判決の言渡しを受け、その確定[1]を待って執行手続を行う必要がある。しかし、訴訟の提起から判決の確定の間にも権利侵害による損害が発生し続け、または第三者への権利の移転によって強制執行がなしえなくなるなど、権利の保護が十分ではない場合がある。民事保全は、このような事態を防いで権利の保護を図るため、暫定的に一定の権利・義務を定める制度である。
民事保全法には、保全の手段として仮差押えと仮処分が定められており、仮処分には係争物に関する仮処分と仮の地位を定めるための仮処分がある。
争いがある権利関係について暫定的な措置をすることを求める仮の地位を定める仮処分が用いられる場面は幅広く、認められれば訴訟の結果を先取りすることになる。その例としては、賃金仮払仮処分、交通事故に係る保険金仮払仮処分、そして特許侵害品販売差止仮処分などが挙げられる。
民事保全制度は、本案訴訟と異なり原則として非公開で審理され、立証の程度も本案訴訟で求められる「証明」より緩やかな「疎明」があれば足りるとされている。しかし、仮の地位を定める仮処分については、発されることによる債務者への不利益が大きいことから、債務者が立ち会うことができる審尋期日を経なければ発することができない(民事保全法第23条3項本文)。また、緊急性を要するという特徴から、一般事件における仮処分の審理期間は本案訴訟に比べて短く、令和元年度の統計では地方裁判所への申立てのうち85.9%が3カ月以内に終結[2]している。
3.知的財産事件における民事保全
知的財産権をめぐる紛争の場合、特許権等に基づく侵害行為の差止めのために、仮の地位を定める仮処分の申立てがなされることが多い。権利者が差止仮処分命令を得ると、本案訴訟の判決・執行を待たずに競業行為を止めることができる。一方で、差止仮処分命令を受けた競業者は、対象製品の製造・販売を禁じられ、在庫品や生産設備の廃棄のみならず、市場シェアを喪失する恐れにも直面することになり、営業上の不利益は極めて大きいものとなる。したがって、差止仮処分の審理は、前述した一般事件における仮処分の審理に比べて慎重に行われることが多く、必ずしも迅速な救済を得られるとは限らない。
[1] 判決が確定するのは、当事者が判決に対して上訴期間内に上訴しなかった時、上訴が棄却された時、上告審の判決の言渡し時等である。
[2] 裁判所 司法統計「民事・行政 令和元年度 99 仮処分既済事件数 審理期間別 全地方裁判所」